成果主義医療をかんがえる

成果主義医療とは何かと問う人に答える。
それは
診療で病気が治った場合にだけ
成功報酬をうけとる医療のかたちだ。
もちろん、
治らない場合には報酬をうけとることはない。
成果主義をとるのは
治療に自信があるからかと問う人もある。
患者にとってたいせつなのは
確実に病気を治す医師の力ではない。
治る病気と治らない病気を峻別して、
それぞれに必要な対応を選ぶことが
いちばん大切だ。
人間はひとりひとりさまざまだ。
遺伝性疾患や神経系疾患には難病が多い。
現代医学の総力をあげても
適切に対応できないことがたくさんある。
だれも適切に対応できないからこそ
医師にはなすべきことがたくさんある。
いのちが潜在的にもつ総力を発揮して
自分の力で人生を謳歌してもらうように、
支える。
人間はさまざまな信念をもって生きている。
自分の考えに執着するあまり
健康をそこない寿命をちぢめる人がいる。
極端な例では江戸時代の切腹がその象徴だ。
医師の診療介入で考えをあらためる人がいる。
そういう人は健康をとりもどして
人生をあらたに歩みはじめる。
医師がどれだけ工夫しても
生活をあらためないで
自ら寿命をちぢめる人もいる。
医師には患者と感応する瞬間がある。
切実で必死な患者ほど
私の顔をみるだけで何かを感じとるようだ。
このとき患者は
思いもよらなかった人生の可能性をみつけて
自分自身を反省する。
この瞬間から容態は安定しはじめる。
その場にいあわせる家族も看護師も、
何が起こったのか理解できない。
何が起きたのかは、
患者本人と私のふたりだけの秘密。

  

人と人が心の奥底でむすばれる瞬間が
かくも清らかで豊かだとは。
この感動をたのしまないで何が人生か。
人生のまことの味わいに
高齢の先輩方が感涙してよろこぶ。
病気が治ろうと治るまいと、
病気をふみこえて人生がかがやきだす。
「病気は治った、生きている」と
患者が感じとれる瞬間がおとずれる。
そんな奇跡の瞬間を、
私は追い求めている。