おそるべき人生の法則!

 

ブッダが出て、キリストが生まれた。

老子がぽつりぽつり語り、スサノヲが暴れまわった。

 

かれらがどれほど超人めいていようと、しょせんは人間である。

人間がその能力を最高度まで発揮すれば、どんなことができるのか。

かれらはそれを示したにすぎない。

そう考えていっこうにさしつかえがない。

 

この人生をおもいきり欲ばって生きるなら、かれらの次元にたどりつけばいい。

そう考えて、不都合があるだろうか。

ブッダをめざしてブッダになればよい。

キリストをめざして老子になってもよい。

老子になるつもりがスサノヲになってしまってもよいではないか。

 

人生は思いどおりにならぬ、と力説する人に出くわすことがある。

人生は思いどおりにならぬとかたく信じれば、人生はぜったい思いどおりにならぬ。

その人は信じるとおりに、思いどおりにならぬ人生を生きている。

つまりは、人生はその人が思ったとおりになっている。

 

人生は思うとおりになる、と考えるお人好しに出くわすこともある。

人生は思うとおりになると信じていると、人生は思いどおりになる。

それみたことか、人生は思いどおりになるものだ、とその人はいよいよ確信する。

 

 

ことほどさように、人生はしごく単純である。

 

 

一流大学を出て一流企業につとめて、出世すれば幸せになると思い込む人がいる。

一流大学を出て一流企業につとめることは、努力すればかなえられる。

出世してのぼりつめることだってできるだろう。

そうして幸せになればよいだけだ。

 

そんなに周到な人ほど、どこかでつまづいてしまう。

異性の若い魅力によろめいたり、賭け事にのめりこんだり、見栄をはって借金をかさねたり。

そういう挫折があって不幸になる人は、まだ幸せだ。

不幸になる原因がはっきりしているから、本人はその不幸が当然だと信じられる。

 

一流大学を出て一流企業につとめて、出世しつくして、

行きつくところまできたのに、なんだか幸せではないぞ、と気づく人がけっこういる。

挫折も不幸も招きいれたつもりもないのに、幸せだと感じられない。

自分の幸福をうけいれられないのだから、じつに不幸である。

人生の落とし穴にはまった人だ。 

 

人生の落とし穴は、高血圧の落とし穴によく似ている。

塩分をとりすぎると高血圧になる。

だが、ふだんから塩分をとりすぎる人の舌は麻痺している。

ちょっとの塩気では感じないから、どんどん塩を投入する。

塩のせいで、ますます舌(=脳)はバカになる。

いつの間にか収縮期血圧が200mmHgにも達する。

やがて脳出血や脳梗塞をおこすだろう。

では、どうするか。

かわりに酢をたくさん投入すると、塩気はいらない。

1週間もすれば、舌は元どおりになる。

すると、1週間前まで口にしていた食事のあまりの塩辛さにおどろく。

 

一流大学を出て一流企業につとめて、出世もとげたのに、どうして幸せになれないのか。

じつは、それは当然で自然なことだ。

一流大学だの、一流企業だの、出世なんていうのは、

自分を押し殺してさえいれば、だれにでもカンタンにできる事業である。

でも、幸せになる、というのは話の次元がまるでちがう。

幸せになるにはそれなりの準備が必要となる。

そもそも、自分というものがなくて、幸せになれるわけがない。

一流大学や一流企業に入ったり、出世するのに、

自分を押し出していては、とてもつとまらない。

 

そんな単純な人生の知恵さえ、知らぬ人が思いのほか多い。

医師をしていると、そんな人々とあまりに出会うのであっけにとられてしまう。

私はたいていこういうことにしている。

「人生は思うとおりになります。やりたいことをして、住みたい人と住んで、

したい仕事をして、趣味や遊びに興じて、満足して生きて死んでゆくことができます」

 

私の説を素直にうけとる人はまずいない。

私がそんなふうに生きているのをよく知っているのにもかかわらず、だ。

かれらはかならずこういう。

「それは先生だからできることであって、わたしには無理です」

 

私はあきらめきれない。

「無理です、というから、無理になるんです。

私にはできる、と考えるから、私にはできるるんです。

私はけっして特別じゃないですよ、

強いていえば、私はこの世でいちばん欲ばりなだけです」

 

またしてもかれらは口をそろえる。

「先生が欲ばりですって。先生はもう何も要らないんでしょう?」

 

たしかに私は医師らしい生活はしていない。

同僚はみんな高級外車をのりまわしているが、

私は15年落ちの国産中古車をいまもたいせつにメンテナンスして、

2年ごとの車検も自分の手で通すことにしている。

自転車やコンピュータや家にいたるまで、みな同じである。

 

そして、生活の満足度は、私だけずばぬけて高い。

私はパートナーを職場や近隣で求めようとしなかった。

世界中の三十五億にのぼる女性のなかから、

私はいちばん相性のよいパートナーを見つけだした。

愛情にも愉楽にも深い満足をあじわうし、

家庭でさしだされる食事に舌鼓をうち、あたたかい体温を感じとる。

誰もよまぬ書物を好むので、古本屋で投げ売られる書物がうれしい。

人類の叡智を録す幾冊もの書物は、マンガ雑誌1冊の値にもならぬ。

陽のあたる裏山を歩きながら、書物を読んで考えるから、書斎もいらない。

ほかの人には思いもよらぬアイディアや技術を蓄えるから、

同僚たちが頭をかかえて困る問題を軽々と解決してゆく。

仕事ができるから、よい給料でヘッドハントされる。

生活するのに必要なお金はわずかだが、収入はふえる一方。

お金はあるから、はたらく日をへらしてゆける。

時間があるから、本をよんで問題解決能力をますます高める。

仕事ができて、収入はふえて、はたらく日数がへってゆく。

このサイクルはとめどもなく加速してゆく。

 

これが人生の真実の法則なのだ。

 

私は、ただ老子の背中を追いかけ、

スサノヲのように暴れまわっているだけだ。

 

 

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