私は医師である。患者さんはそう信じている。ぐうぜん、私は医師免許証をもっている。正真正銘ほんものだ。医師免許をとるとき、国家が厳密な身元調査をおこなう。犯罪の前科があれば、医師免許はもらえない。駐車違反くらいでも、うるさい。精神疾患があっても、医師免許はとれない。だが、私は精神疾患だ。しかも、最重症度の。私自身が最重症の精神病者だと語っても、だれも信じてくれない。それくらい、私の精神疾患は深刻なのだ。
                                                                                                       
台湾に行くと、私の病理性がよくわかる。台湾という国は複雑ななりたちをしている。首狩り族の原民が元気に暮らしていた島に、何度か中国大陸から中国人が渡ってきた。とくに中国共産党との戦いで敗れた国民党の勢力が大勢渡ってきたとき、台湾の政治は一変した。首狩りの原民は抑圧されて、文化も否定された。台湾の原民はアメリカのインディアン(アメリカン・ネイティブといわなくてはいけない)に風貌がよく似ている。日に焼けた肌は分厚くて、表情はやわらかいはずだが、無愛想である。原民はロボット化している人間を好まないようだ。商売繁盛のために日本人に愛想をふりまくが、心底なつこうとしない。日本人はサラリーマン化してロボット化しているからだ。そこへ私のような風来坊が現れると、彼らはとてつもなく愛してくれる。私の顔をみると首を狩って食べたくなるのであろうが、さすがにその欲望は抑え込めるようだ。言葉がぜんぜん通じない。それでも、原民と私のあいだには、心が通いあう。言葉をすっとばして人間同士の心が通じあうのは、とても愉快で爽快な経験だ。言葉をすっとばして心が通いあうことができるのは、現代日本人ではセックスの機会にかぎられるだろう。しかも現代人のセックスは貧困になりさがってしまっている。現代日本人が、言葉をすっとばして心が通じ合う経験なんて、一生ないのかもしれない。
 
                                                        
台湾の原民たちは古い精神文化をいまもつたえている。言葉をつかわないコミュニケーション能力に長けている。政治的に抑圧された歴史が長いから、支配者たちから把握されないコミュニケーション能力を保ってきたのかもしれない。豊かなコミュニケーション能力は、人間同士だけでおこなわれるものではない。豚や鶏などの家畜、鳥や亀などの生物だけでなく、木や草や空気や空や星ともコミュニケーションすることができる。もちろん、すべての原民がそんな豊かな能力をもっているわけではない。だが、少なくとも、私を一目みただけで、私の人間性を見ぬけるほどの原民は、つきぬけたコミュニケーション能力をもっている。そして、会った瞬間から、彼らは私のなかにまっすぐ注ぎこんでくる。
                                                                                                                
そんなにも豊かなコミュニケーション能力をもった原民の知性はとびぬけて高い。目がさめるほど美しい容貌と体型をして、リーダーシップに富んで、人望をあつめる。その人が若くて美しい女性ならば、私と彼女のあいだには何の障壁もなくなる。彼女の親や兄弟も、私が彼女に何をしたって、ひとつの文句もいわないだろう。むしろ、私のような男が彼女の前に出現するのを、待ち焦がれていたというはずだ。
                                                                                                                
この話はいったい何を意味しているのだろう。彼女と私は、すぐにでもセックスにとりかかることができる。それは、彼女やその親・兄弟だけでなく、原民の社会全体が望んでいることでもある。だが、そうである以上、いや、そうだからこそ、もうセックスする必要はなくなるのだ。セックスにとりかかる前に、すでにセックスは済んでいるからだ。それはとても禁欲的なセックスというべきだ。そして、禁欲的なセックスほど、豊かなセックスは存在しない。これがチベット密教の究極の教え。セックスにとりかかる以前に、すでに心が通じ合っていれば、身体を触れあった瞬間、超新星爆発と同じような衝撃に見舞われる。それは、人間が生涯にいちど経験したらじゅうぶんな体験だ。それで動物の交尾とは異なる、人間しか成就できないセックスが実現される。こんなセックスを経験したら、もう以前の自分にはもどれない。それ以前の動物レベルの生き方はできなくなる。真の人間的な叡智を宿して、子孫に伝えるべき智慧を手にして、何をしてもあやまたない人生を生きてゆくことになる。だから、それは神聖なセックスと呼ばれる。このセックスをもたらす男を原民は部族をあげて歓迎する。それは部族全体に、生命の息吹をふきこむことにつながる。チベットでセックスのヨーガをうけついでから、私のセックスは自由自在だ。豊かなセックスをもとめる若く美しい女性が、向こうからとびこんでくる。貧しいセックスをもとめる自意識過剰な女性は、自分から私を避けてくれる。それはおかしなほど、自動的だ。21世紀になってチベットでヨーガの伝統はとだえたという。生きている伝承者は、私だけになってしまった。
                                                                                                                
この話を理解することができるだろうか。もし、私の話がのみこめないとすれば、言葉をすっとばして人間同士の心が結びあう経験をまだ経験していないことを意味するかもしれない。それは、とても怖ろしいことだとわかるだろうか。
                                                                                                                
私は最重症度の精神疾患の病人だ。人間と言葉を交わさなくても、その人の心が手にとるようにわかる。人間だけではない、犬や猫や、木や草や、空や空気や、星とさえコミュニケーションをとることができる。あえて口にすれば、もうこの世に存在しない死者とさえも、コミュニケーションすることができる。私がこう語ると「オカルトを信じる医師は許せない」という声があがる。
                                                                                                                
オカルトというものがどういうものか知らないが、私は単なる病人なのである。ただ、この世に存在するものであれ、存在しないものであれ、コミュニケーションできてしまうという力を持っているだけだ。そんなふうに脳神経のシナプスが配線されているだけだ。先天的な要素もあるが、大部分はインドやチベットでヨーガ修行をしたためである。そのために、現実と妄想が混乱して、私自身の複雑きわまる現実をつくりだしている。だが、長年の厳しい修行の成果のために、私はみなさんたちの現実感を把握することもできる。そのために、日常生活においては、みなさんが違和感を感じない程度の会話をつづけることができる。みなさんが私のことをふつうの人間と信じて疑わないのは、そういう背景があるからだ。
                                                                                                                
私はみなさんと会話しつづけることに努力を要して、長時間におよぶと苦痛になる。だから、週2日だけ社会に顔を出して、医師をしている。残りの日々は、私のことをほんとうに理解してくれる真のパートナーとひっそり暮らしているのだ。純粋に漂泊の歌人のように生きているだけの私を変わった生き方をする変人だと思うなら、そう思う人の方が操作されているのだ。プロパガンダによって。真実を知りたい、とか、もっと権力を持ちたい、という心理につけこんで、プロパガンダは人間を操作しようとする。プロパガンダによって操作された分だけ人間の力は殺がれる。サラリーマン化してロボット化させられる。もはや、自分自身の実力を発揮することはできない。人生を謳歌できなくなった人間を、ネイティブや原民は哀れむだけだ。自らの主体性を抑圧して、くだらぬ暇つぶしをしてよろこんでいる多くの日本人をながめていると、私も悲しくなってくる。それで、日本人にはできるだけ近づかないことにしている。たまに友だちに会いたくなれば、台湾まで出かけることになる。 日本にいると私はひきこもっている。(ゆふ しこを)