第一のものがたり『古事記』とは

 奈良時代のことを知りたければ『続日本紀』をよむといいよ。国家にかかわることなら何でも記されているから。続日本紀は、正史つまり国家みずから編纂した公認歴史書なのだ。とうぜん、続日本紀は女帝・元明天皇の御代にもくわしい。
 
① 古事記の成立年代がわからない
 その続日本紀が、古事記の成立にかぎって口をつぐむんだね。元明天皇の勅命をうけた太安万侶が、和銅5年(712)に古事記を撰録した、とかたるのは『古事記』につけられた序文だけだ。古事記の制作を元明天皇が勅命したのなら、続日本紀が口をつぐむのはまったくおかしい。古事記の成立を記載しないのは、女帝の気まぐれな思いつきなので、国家の公認事業ではないからか。古事記のはじまりをめぐる史実の矛盾が、波紋をひろげるのだ。日本最初の正史『日本書紀』は養老4年(720)に編纂された。古事記が和銅5年(712)に勅命で成立したのが事実なら、日本書紀は古事記を参考にして作成したはずだ。だが、日本書紀が古事記を引用した形跡がない。だから、日本書紀は古事記を参照していない、と鳥越憲三郎はいう。
 
 こうなると、疑いは古事記につけられた序文にむけられるね。古事記の「序文」と「本文」では言葉づかいが異なるのだから、同じ時代に書かれたものではない、と三浦佑之はいう。古事記の「本文」は上代特殊仮名遣の「モ」を二種に書き分けているが「序文」はその書き分けをしていない。そこから、古事記そのものは古いが「序文」は弘仁4年(813)ころの成立と推測する。
 
 鳥越と三浦は、古事記の権威を疑っているのではないようだ。古事記の成立をかたる「序文」を疑っているのだ。
 
 古事記「序文」をうのみにして、おおくの学者が「古事記は和銅5年(712)に成立した」とかんがえる。岩波文庫本の表紙は「現存するわが国最古の歴史書・文学書」とうたう。古事記は和銅5年(712)に成立したのかどうか。それは謎のままだ。
 
 
② 古事記の来歴がわからない
 万葉集にも古事記の名はみえるが、日本人が愛する古事記とはちがうようだ。むかし、古事記は「ふることぶみ」と読んで、古事を記録した書物をそう呼んでいた。だから、古事記という名の書がいくつも併存していた可能性がある。
 
 わたしたちがよんでいる古事記はどうつたわってきたのかな。現存する最古の古事記写本は、真福寺の僧・賢瑜が書写した真福寺本(1371年)。古事記は14世紀後半にはかくじつに存在していた。
 
 古事記の存在がはじめて世にあらわれたのは、いつのことか。古事記の名をはじめて記したのは、多人長の『弘仁私記』序文(819年)とされる。多人長は朝廷で日本書紀を講義していた人物であり、太安万侶の子孫である。平安初期の『先代旧事本紀』や中世の『古事記裏書』に引用されているが、古事記のはじまりを証する歴史資料としては『弘仁私記』序文がもっとも古い。
 
 古事記がこんなに広く知られるようになったのはどうしてか。江戸時代に『寛永版本古事記』(1644年)が刊行されたことが大きいが、やはり、その功績は伊勢の小児科医・本居宣長(1730 - 1801)に帰すべきだ 。35年もの苦心のすえに宣長が『古事記伝』四十四巻をまとめあげた。古事記は一気に世に知られ、平田篤胤のおかしな影響をへて、明治時代にはわが国のかたちを証する最高聖典として権威化され、全国民の口にのぼるようになった。
 
 そのむかし、古事記のことをだれも知らなかったのはなぜか。だれも知らなかったのは、人目をはばかって厳重に隠されてきたからとしか言いようがない。そうでなければ、これほどすぐれた奇跡の書がこんなに無名であったわけがない。
 
 
③ 古事記が隠されてきたほんとうの理由
⑴ 「古事記 vs. 日本書紀」
 古事記をかたるには日本書紀をかたらなくてはいけない。古事記と日本書紀は同時にうまれた双子で、宿命のライバルである。
 
 『続日本紀』養老4年5月癸酉条によると『日本書紀』は養老4年(720)に舎人親王らによって編纂されている。それなら、『日本書紀』こそわが国最初の正史、つまり正統歴史書である。大和朝廷の貴族は「日本書紀がホンモノである」と広く宣した。奈良・平安時代には最高聖典の栄誉をうけた日本書紀だったが、明治の世になると古事記がその位置をしめた。
 
 いつもも政府の公式記録は改ざんや紛失の疑いがかけられる。奈良時代にも、隠蔽され改ざんされた日本書紀をみとめないひとびとがいた。かれらの反発は、現代人とはくらべられないくらい真剣なものだった。日本人の生き方をめぐって、けっして負けられぬ戦いがふくまれていたから。
 
 「古事記 vs. 日本書紀」の戦いは世界中のいたるところで起こっている。この日本で、いまも起こっている。あなたも、いま、現にそれを経験しているはずだ。この戦いは、人類史をとおしてたえずくりかえされてきた。
 
 
⑵ 古代中国における「北方 vs. 南方」
 東アジア史に記録されている戦いはまず中国でおこっている。古代の中国には小国が勃興し乱立したが、おおきくわけて、ふたつの勢力があらそった。北方の黄河流域の人々と、南方の長江流域にくらす人々。文学的には、左脳的な「詩経」と右脳的な「楚辞」の争いということもできる。洛陽・長安・北京と、この国の政治の中心はいつも北方にあった。「富と権力」を集中することが人生の成功条件と信じて、立身出世の競争にあけくれる北方の人々。かたや、北方のあくせくした暮らしをうけいれない南方の人々。南方的な生き方は、北方人の目にはおそろしく愚直にみえた。 『韓非子』には「矛盾」や「守株」という故事成語がえがかれる。どのエピソードも南方人の底ぬけの愚かさを笑いとばす。『列子』の「杞憂」も南方人のバカさをせせら笑う。北方人が見くだすように、南方人はバカで愚かにきまっている。現存する文学のすべてが、南方人の痴愚を非難して北方の知恵にまなべと勧めている。未開の蛮族を文明化することが「啓蒙」であり「教育」である。
                                                              
 南方の漢民族が蔑視されたことをしめすじっさいの例がある。モンゴル民族が支配した元の時代には、厳格な身分制度がしかれた。第一身分は、少数の支配民族であるモンゴル人。第二身分は、シルクロードの西域異民族たち。第三身分は、北方にくらす漢民族「漢人」。もっとも卑しい第四身分は、南方にくらす漢民族「南人」である。
 
 中国史上つねに蔑まれてきた南方人。だが、かれらの目には、北方人こそ愚かしくみえていた。よく生きるために、この世で成功することはさほど重要ではない。この世やあの世という制約にしばられず、真実の自己にめぐりあうことがたいせつだ。その右脳的南方者の生き方をつねに左脳的北方者が政治弾圧してきた。
 
 それでも、南方者はみずからの生き方を確立して難なく処してきた。そのよりどころが神話であり宗教である。神話も宗教も、左脳的北方者の目には「バカらしい非文化」と映る。自分たちが理解できないものは「信じてはならぬ非合理」と排除する。それが北方人の信じる生き方。その窮屈で退屈で表面的な人生をあわれんだのが、南方の右脳的生活者。かれらは神話や宗教の領野に「表にはあらわれぬ人生」を愉快におくった。
 
 
⑶ わが国の「古事記 vs. 日本書紀」
 ところかわって、むかしの日本。政治抗争をへて「富と権力」をかちとった高位高官の公卿たち。なんとかして、みずからの政治権力の正当性を証明しなくてはならない。それには歴史にかたらせるのがてっとりばやい。この国をまとめあげた八百万神の末裔がこの国を治める、とすればだれもが納得する。そんな歴史をしたてあげてやろうと『日本書紀』をあみだした。隋・唐の正史の権威をかりれば、かたちがととのう。形式ばった漢文をくみあわせた編年体のものがたりは、あまりに退屈で、読む気が失せてしまう。いっそ、だれも読んでくれない方が、よほどありがたいというものだ。
 
 
⑷ 古事記の真実
 わが国の中枢にも、貴族の生き方の虚栄・悲哀をあわれむひとびとがあった。かれらは中央にいながら、めだたぬようにひいている。だれの敵にもならぬかれらが、じっさいに国をうごかし、きりまわす。日本人の「ホンモノの歴史」を遺さなくてはならぬ、とかれらはかんがえた。
 
 もともと、日本の「ホンモノの歴史」はつたわっていた。歴史をごまかし、ひっくり返すために『日本書紀』がつくられた。だからといって、「ホンモノの歴史」を押しだせば、一気につぶされる。歴史をつうじて、北方的成功者は南方的生活者をつねに抑圧したではないか。歴史は、それが政治の本質だとかたりつづけている。
                                                        
 そこで、かれらは用意周到なトリックをしかけることにした。「ホンモノの歴史」を、わざと日本書紀に似せることにしよう。だから、古事記の内容は一見して日本書紀にそっくりになっている。古事記も改ざんや隠蔽をしているではないか、という人もあろう。だが、日本書紀の改ざんが人を騙すための隠蔽であるのに対して、古事記の改ざんは真実を後世に遺すため、いきのびるための隠蔽だ。古事記があからさまに日本書紀に対抗する権威だと知れれば、滅ぼされてしまう。その著述者とわかれば、かれらの身もあやうくなる。それは中国の「北方 vs, 南方」の戦いをみればあきらかだ。南方の思想は「楚辞」や「淮南子」「老子」「荘子」に、その断片が遺るだけ。
 
 もちろん、かれらは古事記を日本書紀の模倣にするつもりはない。その証しに、古事記と日本書紀の主張は、まるで正反対だ。そうなるように奇想天外なトリックがしかけられている。文字と文字のあいだや行間や行外に、さまざまな暗号がかくしてある。暗号をとく者がよめば、文章の意味が逆回転するしかけだ。古事記は、ことごとく、日本書紀の主張をひっくりかえす。そのように、古事記の神代巻には大がかりな細工がなされている。そう、古事記のエッセンスは「神代巻」にだけこめられている。神代巻のほかに中巻と下巻をととのえたのは、日本書紀の体裁にあわせるためだ。暗号をとくと、神代巻のなかに「日本人の真実の人生」がうかびあがる。
 
 かれらのトリックをよみとく人間があらわれるかどうか、それはわからない。だが、古代中国に端を発する「北方 vs, 南方」の戦いをみれば、かれらの系譜につらなる人間がかならずこの国にあらわれる。その人間のために、わが国の人のために、かれらは古事記をのこし、厳重に隠した。
 
 さいわいにも、江戸時代の伊勢の小児科医が、かれらのトリックをみぬいた。そして、現存する古事記のテクストを確定してくれた。本居宣長がいなければ、わたしたちはこの古事記をよむことができなかった。だが、宣長はトリックのすべてを見やぶることができなかった。古事記のテクストが与えられただけで、暗号をとく鍵はうしなわれた。
 
 結論をいえば、古事記はニセモノだ。わが国の正統な歴史書なんかではない。だが、古事記こそホンモノだ。日本人がただしく楽しくゆたかに生きるための秘訣をさししめす至宝の書だ。
 
 暗号はおそろしく精妙にできている。この暗号をとくのは至難のわざだ。日本書紀とおなじように古事記をよむのでは、すでに失敗している。東アジア史上、古代中国で端を発した北方と南方の戦いは、日本では「古事記 vs. 日本書紀」の戦いとなり、時代と場所をこえて、いまも世界中でくりひろげられている。この争いにくぎりをつけるには、暗号をとくしかない。
 
 
⑸ 古事記と右脳
 ホモ・サピエンスは脳を発達させることで、弱肉強食の世界をかちのこった。知恵もあり、はるかに屈強なネアンデルタール人も3万年前には滅びてしまったのに。
 
 ヒトの脳は進化して、左右の脳半球にわかれた。左脳のはたらきはよく研究されているが、右脳のはたらきははっきりしない。現代医学でもわからないことが、古代中国の南方者や、古代日本の賢人にはよくみえていた。その秘密を「楚辞」や「古事記」にのこしてくれている。
 
 人間の脳が左右の半球にわかれてぶつかりあうかぎり、戦いははてしなくつづく。人間は、左脳と右脳をどうあつかえばよいのか。そのこたえを『古事記』の暗号がにぎっている(ゆふ しこを)