I 表の医学・裏の医学


裏社会からコンタクトされた。表向きの顔を表現してばかりでは偏る気がするので、たまには裏の顔をお見せしてもいいかな。現実的な話ではないので小説でもよむつもりでね。

 

私は日本国の医師免許をもつ心療内科医。世間的にはこんな肩書きで身過ぎをしている。チベットで私は裏社会に組みこまれた。真の実力主義の裏社会。みなさんが想像されるよりもはるかに怖ろしい世界。ローマ法王やダライ・ラマ猊下は表社会、コルベ神父や寒山拾得は裏社会といえばおわかりいただけるだろうか。なかに入ってしまえば、一見平和で穏やかだが、努力や勉強はバカがすることと信じて疑わない正真正銘の賢哲ぞろい、私は心底バカだと思い知らされてきた。オリンピックの金メダリストさえうち負かす運動能力の連中もいるが、人との競争を徹底的にきらってレースしない。世界一をめざして努力するなんてバカがすること、世界一は人生の目標として低すぎる、というのが彼らの持論。オリンピックメダルやノーベル賞をとろうとすればいつでもとれる連中にかぎって人より優れるとか名を挙げることに無関心。負けることがない人生だと勝負そのものが退屈だ。原子がみせる粒子=波動性をめぐるアインシュタインとボーアの論争は100年以上も決着がつかぬが、門外漢の彼らがすでにこの問題を解いている。ノーベル賞学者はこんなカンタンな問題に頭を悩ます奴らさ、ホント信じられないぜ、と大笑いして愉快がっている。人類の祖先が木から下りて森を出た本当の理由を人生の指針にして自分を把握している。京都大学霊長類学研究所の連中が100年かかっても得られない学問成果を手にしている。そんなに実力に恵まれているのなら、世間に公表して社会に役立てるべきじゃないか、と考える人もあろう。生きている感覚や人生の味わいの極限を愉しみ享楽する彼らにとって他人の称賛や非難なんてまるで眼中にない。成果を発表するだの優位性を示すこと自体が下品きわまる所業と頑なに律する遊戯者。歴史上の偉人を三流とみくびる連中が裏社会。彼らのような人間が世の中でいちばん怖ろしい。たまにふらっと表社会に顔を出しても、だれもその正体に気づくことはない。だが世の中をじっさいに動かしているのは彼らだ。宇宙と世界と社会と人間の秩序を知悉しているから、涼しい顔して、ひとりでも数百人、数千人、数万人分の造作をなしとげる。表社会のだれもかれもが自分の力で生きているように思っているけど、だれひとり自分がしていることをわかっちゃいない。そして人生で何ひとつなしとげることがない。彼らは人間や人生というものがよくわかっているから、気取られないままに多くの人々を操って社会を動かして、かくじつに造作をなしとげる。何から何まで表社会と逆をいく裏社会の連中の生き方のスケールはとてつもなく破格だ。

 

このところ私の技が一気に飛躍して、薬も手術も、機具も使わない治療にたどりついた。私ひとりがいれば、何もつかわないでもすませられる現代最高レベルの医療が登場した。悦びをかみしめつつ走って職場に向かっている朝、行く手にとつぜん使いがあらわれる。さすがに私も心底から肝を冷やすよ。いつも私がひとりになる瞬間を狙ってあらわれる。こんなサプライズは日常茶飯事だが、裏社会のやり方に慣れる日はやってこないだろう。

彼らはつねに私から目をそらさない。鎌倉の山中にひきこもっても逃れることはできぬ。彼らは開発したての私の治療技術に目を注ぎはじめた。米国系より中華系の神医がとくにご執心の様子。彼らは中華歴代皇帝の治療や誅殺にはげみ大帝国の政治を裏で仕切った。その直系も表社会に姿をみせず、世界の名だたるVIPに中華四千年の医術を駆使する。私の診療を理解しない表社会にこの神術を享けるにふさわしい人物はあらわれぬだろう。人類最高の医療技術の本質を評価できるのは彼らしかいない。私の医技をただ見るだけで盗めるものならよろこんで披露するよ。そう約束しておいた。約束の日は近づいている。ひとり悠々自適もよいけれど、つねに虎視眈々とにらみつけられているのも悪くはない。西洋医学 vs. 中国医学 vs. 日本医学。彼らとの「勝負」がとても楽しみだ(Dr. Shikoh)