簡単にパニックになる世界で生きるには

2020年3月24日 行政当局からの要請で講演予定を変更しています。次回は4月19日を予定していますが、休止になる可能性があります。ご諒承ください。

 

今年もきちんと春がやってきて、山の木々のあいだから、うぐいすの美しい声がすみわたって耳に聞こえる。あるインターネットの記事に「アメリカの感染者数が2億人に達する見こみ」とある。私が住まう地域でも、新型コロナウィルスの感染者が出て、身近にせまってきた。人々は外出を控えて最小限の買い物ですませて、手近なもので生活をしている。贅沢なんて,する気にならない。これでは、仕事が減って、収入がなくなる。経済が落ちこんで、思いえがいていたすべての将来の計画がぶちこわしになって、頭の中が真っ白になる。

 

私の生活は、なにも変わらない。富士山を見晴らす部屋にいて、医学や数学や哲学なんかの研究をしている。気が向けば風がふきぬける山中をランニングするし、何日かは医者の仕事をする。昨今の外出自粛のために市中の医療機関は閑古鳥が鳴いてたいへんときく。私の勤務先はふだんと変わらないのでふつうに働いている。株式市場が暴落しているだけ、私も損失はまぬがれないが、ポジションが小さいから気にならない。むしろ、この機会に、投資商品のポートフォリオを組み直そうと考えている。不動産市場が不安定化しているので、またチャンスがめぐってくるだろう・・。ひきこもり生活を生きている私には、外出の自粛が日常そのものだ。あらゆるリスクに負けない生き方を求めてきた。世界がパニック化するとき、こんな生き方が真価を見せる。

 

いまの新型コロナウィルスの医療には、数百年ほど時代遅れな印象をうけてしまう。西洋医学の最悪の欠点が露呈するのを見るようだ。ワクチンや新薬がないから新型コロナウィルスによる重症化を防げない、という。非生物のウィルスには抗生剤は無効、帯状疱疹以外のウィルスには薬が効かない。それが西洋医学の常識だ。ウィルスはRNAという物質を膜で包む単純構造で、細胞に侵入するのに必要な接着酵素を阻害すればよい。酵素を阻害する物質が新型コロナウィルスの薬になる。その薬がない以上は、医療者はなにひとつできない。そういう医療者は医療を放棄している、と私なら考える。薬がなくても、治療はできるし、やらねばならぬ。

  

たとえば、日常的に水様便をくりかえす患者を例にあげてみよう。そのおばあさんは、食欲は旺盛なのだが、たえず水のような下痢をくりかえすので、強力な止痢薬を飲んでおかないと外出することさえできなかった。大腸に憩室が多数あるので、前医は内視鏡などの検査を勧めていたが、諸事情があって検査はできなかった。慢性的に水様便をくりかえすとき、急性腸炎はのぞかれ、潰瘍性大腸炎やクローン病、腸ベーチェット病や、吸収不良症候群、蛋白漏出性胃腸症、過敏性腸症候群を鑑別にあげないといけないが、精密検査ができない。前医はやむをえず強力な止痢薬を使いつづけて、患者をひきついだ私にもその治療を推奨なさったのである。私が診察してみると、常識外れなくらい着ぶくれている。極度の冷え性で、重ね着するぶん一層冷えていた。私の見立ては「お腹が冷えすぎて下痢を起こしている」だ。腹巻きを勧めて、体を温める漢方薬を処方する。この種の治療は、近い将来の治療効果を予見できる。多くの不具合は、障害をとりのぞけばよくなるからだ。私は内科医だから西洋医学の診断もするけれど、まず生活の細部をみて、偏りがあれば、それを正してゆく。そのうえで、なお病気があれば、その治療にとりくんでいくスタイルだ。理想的な医療に近いと考えている、

 

一時的に健康をくずしても、病気がすっかり治ればよい。だが、いつかはかならず死ぬ人間の病気が、いつも確実に治せるということはありえない。いつかは、あなたや私の病気が治らなくなり死ぬときがくるだろう。そういう究極の試練と不安の場面にも、有意義に生きることをサポートする医療技術があってほしいと願う。その医療技術なら、治せる病気は治せるし、治せない病気でもよく生きるための秘訣を教えてくれるはずだ。けれど、科学的エビデンスだけをふりかざす西洋医学では、どう努力しようと、理想的な医学になりにくい。人間の局部をみて全体をみようとはしない西洋医学は、自分が何を見落としているかさえ、気づいていない。肺炎の重症化をおさえて、死者数を減らすことは現実的に可能だろう。医療は西洋医学だけではないからだ。伝統的な医療が発達した中国、その武漢ならあれほどの死者数を出す必要はなかったと思うが、信じられぬ。現今の西洋医学には、ウィルス性の呼吸器疾患を有効に治療する医療技術が皆無だ。それが致命的な難点だ。私がそういうのは、ウィルス性の呼吸器疾患を治療する医術がいくつも存在することを知っているからだ。

 

新型コロナウィルスの災禍が発生以降、西洋医学が大金をかけても治療に失敗する理由を求めつづけてきた。原因は、科学にあるとわかった。西洋医学も科学だが、科学の基礎である数学に大問題が隠されていたのだ。友に教えられて数学基礎論を学んだところ、厳密な論証体系としての数学は致命的な欠陥を抱えこんでいた。計算式に「現実」を投入したとたん、数学は転倒し、確実な学問としての体系はあっけなく崩壊してしまう。古代ギリシアのゼノンの「アキレスと亀」のパラドックス以降、悪夢の問いにたちむかう英雄はでなかった。「自己言及」という現実世界をつきつけられると、科学的な知性は完全に無力化されて解体されてしまった。天才数学者たちの偉大な発見は無邪気な骨董品になって、数学は自分の証明を信じることができなくなった。バートランド・ラッセルのパラドックスをへて、クルト・ゲーデルが数学の無力さを論理的に完全証明した。超簡単に説明すると「自分の目を直接見ることができるか→それは不可能だ」という命題の数学的な証明だ。数学的には正しいかもしれないが、現実世界ではこの証明は成立しない。それがわかる科学者は存在しない。ゲーデルは、天罰だろうか、「毒を盛られる」という妄想にとりつかれて食事を拒み、最期は餓死している。

 

私ならゲーデルを救えただろう。私は彼に決定的に欠けていたものがわかるから、それを薬として与えるし、ゲーデルを苦しめた数学の無情な反人間性を超克してゆく可能性を表現して、希望を与えられただろうから。ゲーデルやゴッホのような破滅型の天才を破壊衝動から救いだすには、真実の知性と人生経験があればいい。天才の思考回路は単純だ。世界中の医師が失敗しても、私が治療してみせよう。その修練ができているのだ。

 

物理学の場合、ヴェルナー・ハイゼンベルクの不確定性原理をもちだせば、反現実と指摘できるのだろうか。ブラウアーなら「神は全知全能だが、人間は不完全だから完全な数学(学問)などムリだ」と語るのだろう。神でなくとも人間はもっと賢い。不完全な数学しかできないのは、数学者が思考力を発揮していないからだ。科学的な知性は、人間や現実という要素概念を捨象してできあがっているから、現実世界では役に立たない。ロシアの数学者グリゴリー・ペレルマンがフィールズ賞の受賞を拒絶したのは本気で悔しかったからだろう。私は医者になるくらいだから数学は苦手だが、数学がまるで無力なのは反現実的だからであると理解できる。数学者や物理学者ではない私が、科学的学問の致命傷を診断して、治療法を知っているのは不思議だろうか。反人間的かつ反現実的な学問だからという理由で、数学や物理学などを無意味だとまで言うつもりはないが、科学的な西洋医学だけを医学に限定すると、人間がリスクにうちかつチャンスが失われることは忠告したい。

 

その証拠に、パンデミックの中心地はいま欧米だ。西洋医学全盛の地だから、ウィルスの脅威に無力になる。その理由はお話したとおりで、西洋医学が無力なのは、物理学や数学が現実世界の苦境に役立たないからだ。学問世界で正しいかどうか、を問うより、現実世界でじっさい人類の窮地を救う思想技術を信頼してみたい。人間が生きているあいだにふりかかるリスクに負けない現実的な叡智を、しっかり子どもたちにつたえたい。

 

私はあらゆるリスクに負けない生き方を探してきた。生きるうえで一番のリスクは、生命を脅かされること。自分の生命を無能な医療者に託すほど怖ろしいことはないから、私は自分で医学部に入って、医師になった。西洋医学の勉強をはじめてすぐ、その致命的な欠点に気づいた。卒業後は医学のすべてを忘れようと誓った。忘れるためには、まず覚えなくてはならぬ。医学部在学中は熱心に学びとおして最優秀の成績をとりつづけ、卒業式で全学生のまえで学長から直々に表彰されたけれど、授業料を全額免除されたから生活が楽になった。生命や健康の意義や意味もわからない医療者の手で、助かる生命を奪われるくらい悔しいことはないだろう。私はそのリスクを克服した。自分で自分の身体や精神のことが手にとるようによくわかる。具合が悪くなるとどうすればよいかよくわかる。手元に古今東西の医療器具や漢方薬をそろえて自ら実験台となって確かめる。私の患者になる人は恵まれていると思う。まず、心身をたてなおしてから、残った病気を治療するのだから。

 

科学が「現実世界に有効な対策」をとることができないのなら、とうぜん科学に依拠する医学も無力だろう。だから、今回の新型コロナウィルスのパンデミックのような状況が起こることも、当然といえば当然なのだ。人間の災禍や困難や苦境にたいしては,科学はおそろしいほど無力だけど、希望の灯はいつも目の前にある。世界の現実的な人生思想と医療技術を駆使すれば、人間はあらゆるリスクに負けずに生きてゆけるのだから。