I 新発見!I

 

ようやくのことに私は念願かなって人生の目標をとらえ、目的に到達しました。つい2週間まえのこと、海外で天才的な医師たちと深く交流した経験が背中を押してくれました。私は生まれた瞬間から、《自分が生まれた意味は何か》《生きる目的は何か》《ヒトとは何か》《ヒトとして生きる意味は何か》《人間はどう生きればよいのか》《人間はどうすれば人生をいちばんよく生きることができるのか》を問いつづけてきました。大学や研究所に属していると根本的な問いをつきつめて考えぬくことはできないので、独立系医師になってひたすら問いにむきあってきました。最近は Escherichia coli いわゆる大腸菌の研究にとりくんでいました。「いのち」を考えるとき、大腸菌の生命戦略がいちばん役に立つのです。とつぜん、人間が進化をとげた理由が明らかになりはじめ、遡及的にヒトがサルと袂を分けた瞬間のできごとまでつきとめることができました。サルとヒトのちがい、つまり「ヒトの本質」がつかめると、なぜヒトがサルと訣別しなくてはならなかったのかという事情も明らかにできます。進化的現象として、ヒトの腸は短くなり、脳が巨大化しましたが、それはヒトが進化の力を極限まで拡張するために自分を作りかえたからです。究極の進化力を開発するためにヒトが具体的にしたことは、サルの遺伝子を徹底的に抑えこみながら、新しい未知なる遺伝子を創造したのです。独自の遺伝子を開発したために、ヒトは爆発的な進化力を身につけて、世界をつくりかえて頂点に君臨して、宇宙にまで飛びたつに至りました。新しいヒト遺伝子の存在は、これまで明らかにされたことはありませんでしたが、新しい遺伝子がヒトの真の能力の源泉であることは確かです。 さらに衝撃的な事実が明らかになります。人間が病気にかかるのも、病気を治すのにも、新しいヒト遺伝子が直接大きくかかわっているのです。しかも、この新しいヒト遺伝子は、人間の人生の成功や失敗を左右しているというのです。新しいヒト遺伝子は遺伝子として最深部に鎮座して、人間構造を根本設計しています。この1万年におよぶ人類史をみても、とくに人生の成功者を多く輩出した特殊な社会階層が知られていますが、生きる名人たちの究極の秘訣は、新しいヒト遺伝子を最適に使いこなす技術にありました。反対に、人生をうまく生きられない人々がいるのは、新しいヒト遺伝子を正しく使いこなしていないからです。お酒の話で喩えてみるとよくわかるでしょう。人間は二種類のタイプに分けられます。お酒に飲まれてしまう人と、お酒を飲む人です。新しいヒト遺伝子を正しく使いこなせば、健康で幸福で豊かな人生を送ることが保障されます。一時的に致命的な病気にかかっても自力で恢復することもできるでしょう。逆に、ヒト遺伝子の使い方を誤れば、よく生きることはできません。脳の力を使いこなせず、情報にふりまわされて、ゴミばかりためこんで、お金に追いまわされて、病いと苦しみのために人生を棒にふるのです。ヒト遺伝子をよく使いこなせれば、人生を着実に再建できます。さらに、ヒト遺伝子を活用すれば、新しい医療をみちびきだすことができます。これまで医師に求められてきた《的確に診断し、最適な治療法を選択できる能力》だけでなく、医師はもっと重要な能力を求められるでしょう。それは目の前にいる患者さんを《自分が治すことができるのか》《自分では治すことができないのか》を正確に判断し評価し伝達する能力です。ヒト遺伝子に着目する新たな医療技術が登場すると、医師は患者さんを《治せるのか》《治せないのか》を効率よく判断できるようになります。医師が事前に患者の治療結果を予測できれば、無意味な診療コストと時間を省くだけでなく、患者にきわめて大きな安心感を生みだすでしょう。なぜなら、目の前にいる医師が《自分を治せる医師》か《治してくれない医師》なのか、客観的に評価して示してもらえるようになるからです。新しいヒト遺伝子の存在は、世界全体を大きく変えるインパクトをもっています。この発見をあたえられて、私はこれからどう生きていこうか、とかんがえはじめています(6/18/19 Dr.Shikoh)

 

 

I 「いのちの学校」I

心療内科医の遊方之外(ゆふ しこを)です。私は気が小さな人間ですが、希望だけはとても大きく、人生を大冒険にしてみたいのです。裕福な家に生まれて過保護に愛されるより貧しい家に生まれ嫌われて虐待される方がいい、気品にみちて賢く生きるより狂気をおびて愚かしく生きてみよう、自然に反する料理に舌鼓をうつよりも手近な野草を生で味わい腸内細菌とシェアしていこう、他人をうち負かして得意顔するよりもひきこもる歓びにひたろう、権威に盲従して自分自身を見うしなうよりも「いのち」に素直に生きてみよう。その通りに生きてみると、子どものころすこしつらい思いをしたけれど、やはり人生は素晴らしいなぁと思います。現代の教育は「否定」だけを教えこもうとします。人生は自分の思いどおりにならない。思い通りに生きるのはあなたにはムリ。できません、してはなりません、努力しても絶対に不可能です。そう教えたくない私は教職免状を得たものの、日本中のどの学校の教壇にも立つことはかないませんでした。私の願いは、どんなにつらい状況にも立ち上がる強靱な身体と精神、過酷な運命に立ち向かう魂と直観をもつこと。その目標のために尋常ではない人生修行を積みかさねてきました。おかげで、私はいつもいまが精神も身体も最高潮だと感じているし、直観は右肩上がりに成長をとげています。私はこんな調子でこれからも生きてゆくのです。人間の人生に教科書なんてありません。試行錯誤で自分の人生を創造するしかないはずですが、人はそう考えたくないようです。「理想の生き方」を追いかけて生きているのに、なぜか幸福になれないと歎いています。そんな人々の口癖は「私ががんになるなんて」「私が認知症になるなんて」「私がこんな目に遭うなんて」・・です。古代中国の帝王学が生きる直観を養うように勧めています。天道によれば、がんや認知症だけでなく、人生で起きる出来事さえ、コントロールできる能力が人間にはそなわっています。「いのち」の直観で、人生は何でも可能になります。賢きプラトンにはわからないが、老いたソクラテスが熟知して実践しぬいた人生ですね。哲学が生まれて「いのち」は堕落し、人間はみずからを家畜化すべく馴致してきました。でも、真に自分を解きはなつ人生の秘儀があります。人生は思いどおりに生きられます。知性は人生の役に立ちませんが、「いのち」の直観は、難問をたちまち解く秘奥の能力。私は「いのち」の直観について語りつづけていきます。自分が生まれてきた意味と目標を見うしなわぬ唯一のやり方だということがわかっているからです。 (Dr. Shikoh)



I みんなの医学I

自分が医師になってよかったと思うのは、医者の本音がよくわかるからです。患者をみれば金儲けの手段と思う医者もいますが、大多数の医師は善良な市民で、勤勉で良心的な犠牲精神に富んでいます。それでも残念なことに日本の医師はすこし不勉強で、不養生です。病気や疾患に精通していても「人生の意味」や「生死の本質」や「人のこころ」や「心身一如」や「養生と健康」の卓識もつ医師は見あたりません。高給取りの医師には美食家が多いでしょうが、三大栄養素(糖質・タンパク質・脂質)の理想的バランスや、健康的にダイエットする食事内容に知悉し自ら実践しかつ指導できる医師は稀少です。じっさい、日本の医師は日常生活の健康指導をおこなうのが、驚くほど苦手です。医療現場に身を置いていると、そういう場面をよく目にします。私は、医師を信じるな、と言いたいわけではないので、そこはお間違えなく。ただ、医師の実情と限界をみなさんも知っておくといいですよ、と言いたいし、なにより、みなさんも医学をもっと学んでみようよ、と勧めたいのです。人間にほんとうに必要な医学は、生活に密接な日常茶飯事のなかにあります。なので、本物の医学は難しくもないし、とっつきにくくもない、3万年も人類が頼ってきた医学で、300年後もじゅうぶん通用する医学です。私はその探究と実験にあけくれつつ、湘南で在宅診療の進化医・心療内科医として現代医学を実践しています。私は、ジャン=ジャック・ルソーのような、大の「医者嫌い」とケンカしながら診療することが大好きなのです(Dr. Shikoh)

  

 


I 大学院から幼稚園へI

 

いま海外の街の大きな交差点の角にたつスターバックスで、これを書いています。外国語が頭の上をとびかって、私には雑音も同然です。私は神医たちと技術の交流をおこなうために日本を出ました。言葉にすれば通じなくても、同じような修行を経てきた者同士、人間の限界ちかくまでお互いの心を理解することができます。瞳をゆらし、指をふれば、以心伝心ですむのです。今回も心底思い知らされるのは、彼らがどこまでも「貪欲だ」ということです。「がめつい」商人という意味ではなくて、人間の能力をどこまでも貪欲に信頼している、ということです。彼らは診療が成功したあかつきには高級外車の数台分を受けとるようですが、それで「貪欲」だと言うのではありません。病気を治してもらった人々はその程度の金額ではすまない満足を得ているのです。神医たちにすれば「日本の医療費はあまりに安すぎ」ます。健康や生命の価値をバカにしているから、医療のレベルが低くなるのは当然だ、と言います。彼らが治療をおこなう目的は、病気を治すことにとどまらない。病気を治すくらいなら、中級クラスの医師でもできる。神と称される医師たちは、病気を治すことで人生そのものを豊かに再建して、生も死も通して、絶対安心の境涯を患者にもたらさなくてはいけないと堅く信じています。今回は私がゲストに招かれたわけですが、彼らに伝えた以上に、私の方が深く学ぶことができたと満足しています。半世紀も生きてから、これまで学んできたことがデタラメだとわかりました。私たちは、生きるということをまったくわかっていなかった。生き方も、歩き方も、呼吸の仕方も、目の動かし方も、声の出し方も、抱きしめ方も、なにもかも、生活のすべてがです。生まれたときに、そんなことを説明されたり教えられたりしなかったのだから、知らなくてあたりまえなのです。でも、50年も人間でいれば、もうそろそろ本当のことがわかってもよいのでしょう。50歳にならずに真実を理解したのは、ブッダやキリストくらいだとしても、です。孔子やソクラテスにもムリだったとしても、です。たかだか20代で修めた大学院の教養で人生を生きぬくなんて、どんなに不幸なことでしょうか。これまでの常識とちがって、人間の脳は50歳を超えてもどんどん成長しつづけて成熟を遂げるのです。20代の私がムリだと思いこんだ医学部受験を30半ばで軽く突破したこともその証しになるし、いまの私に現代医学がカンタンに見えてしまうのは老眼と白内障のせいだけではないでしょう。冗談はさておき、私はやっと人生の幼稚園に入ったような自覚を味わっています。言葉を覚え、よちよち歩きの感覚です。海外で学びとった内容を、言葉にすることはできません。言葉にできない教えを学んできたのですから。でも、それは今後の医療において形をおびてくるようになるでしょう。そのとき私がどのような医師であるのか、はじめて明らかになるでしょう(Dr. Shikoh)

 

そう期待しつつ帰国してから診療の場に立ってみると、診療力が格段に向上したことがわかりました。意図せずして診療の仕方が大きく変わり、時間は短縮するし、成果があがるのには、とても驚きました。ふだん効率化をめざすことをとても嫌う私ですが、診療の効率パフォーマンスが上がるのはいいことだ、とまんざらでもないのです(Dr. Shikoh)